『ジョン・レノン〜音楽で世界を変えた男の真実〜』ロジャー・アプルトン監督オフィシャルインタビュー解禁!

(C)SEIS Productions Limited
12月4日(日)

ジョン・レノンの命日である12月8日から順次公開される『ジョン・レノン〜音楽で世界を変えた男の真実〜』より、ロジャー・アプルトン監督のオフィシャルインタビューが届いた。

本作は、ジョン・レノンの生い立ちと、彼の人格、後に彼の音楽に影響を与えた出来事を、未公開 の歴史的映像・資料や友人、関係者へのインタビューを交えながら深く掘り下げていく、ファン感涙の貴重なドキュメンタリー。英国ナショナル・フィルム・アワードでは最優秀ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。ザ・ビートルズの歴史研究家デイヴィッド・ ベッドフォードと、詩人であり作家でもあるポール・ファーリー教授が語り手を務める。


Q:なぜこの映画を作ろうと思ったんですか?
A:5歳のころ(1963年)からビートルズのファンでね。ご存知の通り、ビートルズの初期シングルが出たのは1962、1963年。以降ずっとビートルズが好きなんだ。僕と素晴らしいビートルズ史研究者のデヴィッド・ベッドフォードは、10年くらい前に作られた、ジョン・レノンのソロアルバムについてのドキュメンタリーを見た。そこでインタビューされていたアメリカ人のプロデューサーのある回答に、僕はとても腹が立ったんだ。その人は「ジョン・レノンは、60年代の申し子だった」と言っていてね。僕は「それは違う、だって、レノンは1940年、第二次世界大戦中に生まれたのだから60年代の申し子とは言えない」と思った。ジョンは1960年代とは全く違う世界で育ったんだ。むしろ1960年代を作り上げる一端を担った人物で、1960年代に形作られた人間じゃない。だからこそ、みんなが知るジョン・レノンを形作った、(彼の周りの)世界についての映画を撮るというアイデアに惹かれた。どんな出来事が彼を形作ったのか語りたかったんだ。その人の幼年期と青年期を理解し、どのような世界で育ったかを理解すれば、その有名人がどういう人物なのかも理解しやすくなると思うからね。


Q:どのようにして本作を作りましたか。
A:映画を撮る時の不文律があってね…映画には数人の歴史家も、全体に文脈を与えるために出演しているけど、それ以外の出演者は全員ジョン・レノンを直接知っていた人たちにしたよ。僕は、セレブが並会ったこともない人についてコメントしているような映画が大嫌いなんだ。ジョン・レノンが子供のころの、そして10代の頃の個人的な知り合いである、マイケル・ヒル、ナイジェル・ウォリー、ティム・ホームズ、ドン・ビーティー、スタン・ウィリアムズ、ロッド・デイヴィス、コリン・ハントン、レン・ギャリーに会うことが、僕にとっては重要だったんだ。もちろんジョンの最初のバンド、ザ・クオリーメンに会うことは大事だった。そうして、エピソードをつなぎあわせていったんだ。例えば、少なくともビートルズ界隈ではとにかく有名な、演奏するジョンを写した最初の写真がある。彼がチェックのシャツを着て、ギターを持ち、マイクを掴むために体を傾けている、リヴァプールのストリート・パーティでの写真だ。そこで考えるんだ、この話を映画に入れたい、じゃあ誰に話してもらおう、とね。幸いなことに、その写真を撮った男性は存命だったから、ザ・クオリーメンのドラマー、コリン・ハントンと一緒に現場に行って、その日その場所にいた、2人の重要な目撃者に、当時の出来事を語ってもらった。映画作りのプロセスとして、当時実際そこにいた人たちに語ってもらうことが、僕が一番大事にし
たことなんだよ。


Q:ザ・クオリーメンのメンバーは他の作品でもジョンについて語っているかと思っていますが、本作で初めてインタビューに答えた方はいますか。
A:そうだね。映画に出てくるスタン・ウィリアムズという男は、ジョンを6、7歳のころからジョンを知っていた。この映画を撮るまで、インタビューにはでていないと思うよ。中学校の時の同級生だったティム・ホームズって人がいるんだけど、彼もこれまで映画のインタビューを受けたことがない。撮った素材が本当に多いので、最終的に映画に入れることはできなかったにしろ、とても素晴らしいエピソードがたくさん集った。映画では違うエピソードを入れたけど、スタン・ウィリアムズは「ペニー・レイン」の歌詞についてのエピソードも話してくれた。歌詞の一部にトレイに載せたケシを売っている看護婦が出てくるんだけど、スタンによると、14、15歳の頃のある日、ペニー・レインの環状交差点の、バス停のようなところに立っていたら、ジョンが2〜3人の友達とやってきて話しかけてきたそうなんだ。彼らの共通の友人に、14~15歳の女友達がいて、彼女がペニーレインの角に立ってでトレイにケシをのせて売っていたそうだ。つまり、それがジョンの記憶に残ったんだろう。だから、「ペニー・レイン」のほとんどはポール・マッカートニーによって作詞されたけど、トレイに載せたケシを売る部分は、ジョンが書いたものだ。この映画にでている人たちのように、今までその話が語られることはなかったけれども、ジョンの人生をより深く理解するために大きく貢献をしてくれる人たちがいると気が付くと思うよ。


Q:ジョンと、前妻のシンシアのデートについてのエピソードも面白かったです。
A:ヘレン・アンダーソンは、素敵な女性で、アート・カレッジで、シンシアの親友だったんだ。シンシアは4年ほど前に亡くなったけど、ヘレンとはずっと連絡を取っていて、仲が良かったんだ。ジョンとシンシアの交際の始まりについて直接語れる人がいて、とても幸運だった。そして、ヘレンが私たちに一所懸命伝えようとしたのは、ジョンとシンシアがずいぶんと変わった組み合わせだった、ということだと思う。ヘレンはシンシアがジョンと付き合うなんて、あるいはその逆も、全く想像できなかったらしい。でも同時に、ジョンとシンシアはとてもとても親しくて、お互いに愛し合っていたということも強く言っていた。でも、難しい関係でもあって、当時ジョンはまだ自分探しの途中だったのだろうと思う。劇中、ジョンのDVについてもでてくるよね。実際、この映画に出てくるハンター・デイビスというビートルズの歴史家も、ジョンやポールなどビートルズ全員を知っていた人だけど、レコードの彼の曲の一つ「*ゲッティング・ベター」(*回復・改善の意)に「俺は恋人を殴る男だった」という歌詞がある、と話している。ジョンとシンシアの関係は複雑だったんだろう。思うに、あの時点ではシンシアとの関係が非常に重要だったんだと思うよ。シンシアが当時の彼の人格を安定させたんだと思う。当時、ビートルズのメンバーの関係にポジティブな影響を与えた存在だったんだろう。


Q: 2022年にDVの話を聞くと、かなりショッキングなんですけれど、当時はそれほど珍しいことではなかったと思います。監督はどうしてDVのエピソードを入れることにしたのでしょうか。
A:珍しくなかった。なんで映画に入れたのかと言うと、念頭に置いて欲しいんだけど、レッテルを貼るようなことはしていないと思うし、このシーンはせいぜい、1分か2分のものだよね。でもジョンの人格を正直に描写するならば、これも入れるべきだと思った。文脈のなかに置いたと思うしね。君が言うように、2022年現在、僕たちにとって身近なことではなくなったのと、そういうことがまだ起きているけど、起きてほしくないと願うようになった。でも、これを無視して映画からカットしてしまえば、ジョンの人生を実直に描いたことにならない。そしてイギリスにはトーキング・ピクチャーTVというテレビ局があって、1940年代や1950年代の白黒映画が放送されているんだけど、1950年代に作られた映画のため、現代の視聴者には不快な思いをさせる可能性があります というような断りのテロップがよく入っている。過去に起きたことを、無かったことにすべきではないと思う。過去に起きたことは認め、当時作られたものだと受け入れて理解すべきだ。そのエピソードを入れたことによって、ジョンという人物をより理解しやすくなったと思う。このエピソードから、ジョンが人間的に、短期間でどれだけ成長したのかも理解できる。それに、DV加害者だった人間が、10年後には平和を我らにと歌うようになるんだから。そして平和と愛の象徴になり、後のパートナーのヨーコとの関係は類い稀なものだった。アムステルダムのヒルトンホテルのベッドに横たわり、ヨーコと一緒に世界平和を願い、誰もが憎しみではなく愛を考えるべきだと訴えているジョンは、1958年にシンシアを殴った人物とはまったくの別人だとわかると思う。


Q:オノ・ヨーコさんについてお話しされましたが、ロシアのウクライナ侵攻があり、本作のポスターがロシアを連想されるものであることから、本作のポスターを嫌うひともいるのですが、ポスターのアイディアはどこからきたのですか。
A:イギリスのポスターと海外バージョンは、全く違うんだ。イギリス版のポスターはリヴァプールの地図の上にジョンの顔が重ねられたものだったんだ。でも、海外セールス会社が、リヴァプールの地図だということはイギリス人にしか通じないと判断したんだと思う。新しいビジュアルが必要とされて、実はこのバージョンはプロデューサーが作ったんだ。4年前に作られたビジュアルで、ウクライナ戦争が起きる前のことだというのは念頭に置いてほしいんだけど、意図としては、ジョン・レノンには色々な面があって、マトリョーシカ人形みたいに、一面をとれば、その下から別の面がでてくる。さらにそれをとってみれば、さらに彼の違う面が見えてくる。つまり、僕が思うに、映画がジョンのレイヤーを剥がしていって、その人物像の核を見せるものだと示唆したかったんだろう。残念ながら、今の世界情勢を考えると、タイミングが悪いね。


Q:ビートルズのドキュメンタリーは他にもあるのですが、本作はどういうところが異なるのでしょうか。
A:まず、2曲を除けば、映画にはビートルズの音楽は入っていない。ジョンが成長する過程で聴いていた音楽を使いたかったんだ。ちなみに、映画のサウンドトラックは(海外版の)CDとして購入できるのだけど、それにはジョンが聴いて育った1940年代、1950年代の音楽が収録されている。ビートルズのドキュメンタリーの大半は、ビートルズの音楽ばかりという気がするんだ。本作は、ジョンが有名になりかけていたところで映画が終わるけど、当時、ビートルズの曲の99%はまだ作詞作曲されていない。映画に入れるべきじゃないと思ったんだ。

それに、個人的に体験したエピソードを語れる人にしかインタビューしなかった、という点も他と違うと思う。

そして、映画の舞台をリヴァプールに設定した点もだね。この映画に参加した人たちは、撮影したスタッフ、映画監督も、みんなリヴァプール出身だから、他とは違う解釈を提供できるだろう。僕がリヴァプールを好んで住んでいる理由の一つは、リヴァプールがイギリス的ではないからだ。リヴァプールの人は「マージーサイド人民共和国」と呼ぶ。社会主義的な都市だ。70年代から80年代にかけての首相、マーガレット・サッチャーは知っているかな?サッチャーはこの都市では嫌われ者だ。リヴァプールはとても左翼的で、社会主義的な都市だったからね。1980年頃、リヴァプールは経済的にも、社会的にもどん底で壊滅的な状態だった時、当時の保守的な政府の政策の一つは、リヴァプールを朽ち果てるままに衰退させて、ほとんど消滅させようというものだった。その結果、アウトサイダー的、負け犬の街という雰囲気が出来上がったんだ。そういうことを理解すると、ビートルズやジョンの始まりについても、まったく違った理解が得られるでしょう。



Q:読者にメッセージをお願いします。
A:1963年から、そしてアメリカでは1964年から、ビートルズが世界の文化を席巻した。音楽だけでなく、世界の文化そのものを席巻していた。それを、彼らがどのようにやり遂げたのか、60年代の文化の大きな要素を理解するには、ビートルズのルーツを理解する必要があると思う。ビートルズをリードしたのはジョン・レノンで、彼のルーツを理解することができるのがこの映画だ。だから、それを理解したいと思う人には、この映画を見てほしい。

『ジョン・レノン〜音楽で世界を変えた男の真実〜』予告編

12月8日(木)よりアップリンク吉祥寺、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開

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作品紹介

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